美濃加茂市の学校法人美濃加茂中学高等学校

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学園概要

美濃加茂高等学校慨史

 故渡邉鎮雄博士は、緻密さと大胆さとを併せ持たれておりながら、その一方にあっては、自らの研究と教育に対して、すこぶる厳しく、決して妥協することはなかった。他を思いやる一方で、自分には厳しい博士の生活信条は、多くの学友、卒業生及び各界の有識者から広く信頼され、また、教育に対する情熱と学問への探求心、そして信条に基づく実行力は、各方面から高く評価された。
 昭和四十五年、当時の美濃加茂市長(故岸東八郎氏)が、美濃加茂市及びその周辺市町村を代表し、博士に全日制高等学校の設置を強く要請された。
その要請を受けた博士は、校地の選定から取得、そして校舎の建築や設備の整備に三年間を費やし、遂に昭和四十八年四月一日に「美濃加茂高等学校」を開校した。
 博士が、校名に「美濃加茂」を冠したのは設立の当初から地元に密着し、地元に貢献できる学校を目指したからである。
about_img01 また、博士は、地元での高等学校進学の希望は男女共学に多く、これに応えるため男女共学とし、教育方針としては。高等学校を単なる大学進学のための予備校をするような考え方を排し、高校教育はそれ自体独立した教育課程であり、しかも高等学校での三年間は、少年より青年に移る過渡期であって、人間形成にとり極めて重大な時期であることに鑑み、知的教育のみに偏らず、むしろ生徒一人一人を個性豊かな人格者に育てあげることを目標として、心身両面の健全な発達をはかることを第一の課題とすべきと考えられた。このため立派な人格をつくるのに必要な「自主性」・「創造性」・「社会性」という三つの資質を体得させることを教育目標とし、次のとおり「建学の精神」「校訓」を掲げた。

建学の精神

 人間の尊厳に根差した豊かな教養を身につけ、自然と調和した、健康で強い意志と実践力を持ち、自主性・創造性・社会性を培い、民主的で文化的な国家社会の発展と人類の福祉に貢献しうる有為な人材の育成に努める。

校訓

自主性

自己の主体性を確立し、何事も自らの判断と責任において行う。

創造性

他から与えられたものに依存し満足することなく、自ら進んで与えられたものを吸収し新しいものを創る努力を惜しまない。

社会性

自己の生存が社会に依存してのみ成り立っているということを自覚し、自己を含めた社会全体のために奉仕する。

校歌

合唱付き校歌の再生 合唱付き校歌の再生

校章・スクールマーク・スクールカラー

校名の由来

 昭和45年春、創立者である故渡邉鎮雄博士を当時の美濃加茂市長故岸東八郎氏が訪ねられました。同市とその周辺市町村を代表し、全日制の高等学校を新設して欲しいとのことでした。
 美濃加茂市を中心とした市町村周辺にあっては、高等学校への進学希望者が増加する傾向にありながら特色を有する高等学校はなく、地元では、是非とも新たな高等学校を設けて青少年教育の充実をはかりたいとの意図がありました。
 その要請から3年間ののち「美濃加茂高等学校」が開校しました。開校までの経緯もあり、設立当初から運営方針を、先ず地元の意向と利益とを第一に考え、どこまでも地元の学校として運営することとし、そのため校名に「美濃加茂」を冠することになりました。

校章

 地元に密着し、地元に貢献できる学校に、という目的を視覚的に表したのが校章です。
 美濃加茂市の市章をお借りし、中央に高等学校は「高」を、中学校には「中」を配しデザインしました。

スクールマーク

 平成14年の創立30周年を記念して、お二人の同窓生に作成していただきました。
 美濃加茂を英字表記した際の頭文字である「M」と「I」そして、校章を融合しました。また世の中の国際化を受け、世界で活躍する人材の育成を目標に「MINOKAMO」と英字表記としました。

【原  作】井川修太郎氏(平成13年度卒業生)
【アレンジ】今井泰志氏 (前同窓会長 昭和50年度卒業生)

【原  作】
 井川修太郎氏(平成13年度卒業生)
【アレンジ】
 今井泰志氏
 (前同窓会長 昭和50年度卒業生)

スクールカラー

紫紺